書評「小さな習慣」

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習慣を作ろうとしたときに困ったことはないですか?

習慣って3日坊主で終わりますよね!。

私もそうです。(笑)

最初興奮してやる気満々。

でもすぐに冷めてしまいます。

 

だんだんと、やろうとすること自体が間違っているような

そんな気がしてきませんか!

 

何かが間違っているのです!

 

それを解決してみましょう。

 

 習慣を作ろうとする時、すごいと思って、やる気になります。

でも私たちは、今すぐは、すごくはないんです。

そこに勘違いが生じるのではないでしょうか。

 

いきなり人は飛べないです。

徐々に力を蓄えて初めて飛べるようになります。

 

勘違いした自分がいくら頑張っても、頑張りきれないでしょう。

 まずは、頑張らないようにしましょう!。

頑張るのはやめにしましょう!。

 

そこがわかった時、私達は開放されてやる気になってゆきます。

 

まずは頑張らないでもできる範囲からやってみることです。

 

頑張らない範囲とは、極端に言えば1回からどうでしょうか。

 

本を読む時は1pだけでも読んでみたらいかがでしょうか?

きっとあなたは驚くことでしょう。

 

私にもできると!。

 

この本はホントに目からウロコです。

 

「1pからなんて、バカバカしい!」と思うかもしれませんが。

やってみて下さい。

 

小さな習慣こそが、スタートを固めてくれる習慣になり

大きな習慣を生み出す基礎づくりをしてくれます。

書評 「石橋を叩けば渡れない!」西堀栄三郎著

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この本は私の好きな本です

この本のおかげで何をするときも勇気をもらいました。

 

昔,巨人軍が川上監督の時代で9連覇した時がありました。

9連覇というのは本当に偉大な記録です。

今後絶対にこのような記録はでないでしょう。

 その時の川上氏を評した言葉が、

「石橋を叩いて渡る!」でした。

 

この本は正反対の「石橋を叩いたら渡れない」です!

あの偉業をなしえた川上氏と正反対なのです。

 

「片方は石橋を叩く!」

念には念を入れて叩いて確認してから渡る。

なんという用心深さ。

 

「片方は石橋を叩くな!」

石橋をたたいていたら決心がつかなくなる。

石橋を叩いても必ずリスクはついてくるものだ。

覚悟を決めてゆくしかない。覚悟があるかないかが道を切り開く。

 

さて皆さんはどうでしょうか?どちらの道をゆきたいでしょうか?

 

片方は「野球の話」です。

もう片方は初めての「南極へ向かう時の話」で背景が異なりますが

、この本で大事なところは「未知の世界に向かう時」です。

そいう時どういう考え方で向き合えばいいのかわからない場合があります。

 

著者は「新しいことに挑戦する時」には模倣から創造への転換がなされ
なければならないと言っています。

要するに思いもよらない事に対応するためには模倣ではなく創意工夫しか
ないと言っています。

 

新しいことに挑戦する時は、準備したから「もう大丈夫というものではなく」、

そのことのほうが、思わぬ落とし穴に落ちてしまい、臨機応変に対応できなく

なってしまう。

「思わぬことがおきる」と覚悟を決めていれば、方法は必ず生まれてくるものだ

と言っています。

 

西堀栄三郎は探検家であり登山家、作詞家(雪山讃歌の作詞など)、理学博士、

無機化学者、技術コンサルなど洋々な顔を持つ。

 

 

才能

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才能はどこからくるのか?

才能が開花するには1万時間の訓練がが必要とされる。と言われている。

今日はその「きっかけ」の話をしょう。

才能を発揮する前の話である。

私達は誰しも才能をもって生まれてくる。

人間はそういう存在だと思う。

何故なら脳という大きな「ひらめき脳」を持っているから。

私達人類がこの世界から獲得したもの、それは「閃き」である。

それを人間から奪ってしまえば人には何も残らない!。

小さい弱い存在だが、大きな可能性を持った存在です。

私達の才能はどこからくるのだろうか?

私達はいつも才能を発揮しょうとしている。

しかし、才能の芽が出るといきなりその芽を刈り取られてしまう。

なんとも悲しい現実がある。

つまらんことをするな!

面白くない。

そうですね!

最初はみんなそうです。

最初っから素晴らしいものができるものではない。

まずはつまらないものでも可能性を信じよう!

その可能性からアイデアが生まれる。

そのアイデアを育てることがまず大事なのだが、

その意識がまるで無いように思う。

芽が出たら、育てる。

育てることこそ才能を発揮するコツなのではないか?

面白くなくても「まずはいいアイデアだね」と言ってあげる。

これは意外と大事なことである。

すると相手はその気になる。

私は「その気になる」こと又は「その気にさせる」ことこそ、才能を発揮させる

キッカケでではないかと思う。

12期TLI第2講の感想

「プレゼンは祭りだ!」

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第2講

久しぶりの東京だ。

でも今日はプレゼンだ。

プレゼンは初めて。

不安でいっぱいだ。

しかしプレゼンは2日目に変更になった。

何か命拾いしたような感じ。

1日伸びたぐらいでなにも変わりはしないのだが、少し安堵した。

2日目、お昼からのプレゼンが始まった。

私は6番目。

皆さんがプレゼンするのを見て思った。

「文章多いな!。俺のとぜんぜん違うな!」

「俺のは文字少ない。やばいよ」

ましてやタイトルが「私は誰?」

「なにそれ?プレゼンなの?」

「ウーン」「しゃなーい。どうにでもなれ!」

ここまできて、もう開き直るしかない。

妄想している間に私の番がきた。

みんなを前にして立つと今までの景色が一変に変わった。

見られている対象になった。

やっぱりあがってしまうな。

途中、途中でおかしくなっていった。

最後はもっと言いたいことがあったはずなのに

何が言いたいのかわからなくなってしまった。

とうとうジャッジが下される。

ジャッジではなく応援ジャッジだ。

感性丸出しのプレゼンは意外と受けたようだ。

このやり方でいいんだ!

これが自分のやり方なんだ。

このことは私にとっては思わぬ「自分を知る体験」になった。

苦し紛れの簡単プレゼンだったが、たちさんに「腹の底からの

言葉がでていると言われて「マジすか?」とおもわず心の中で言った。

論理的にひとつひとつの言葉をつないでゆくのはどうも苦手のようだ。

自分が感動した事、気づいた事をストレートに話すだけだ。

この方向で自分の持ち味を伸ばしてみようと思った。

今日の体験は自分を知る歴史的体験だった。

忘れられない1日になった。

終わって気づいたのだが、今日のTLIのプレゼンは

祭りのような気がした。

「たちさん、あやさん」そして「じょうさん」につれられるように

みなさんも応援していましたが、私には何故かこの応援が

「ワッショイ」「ワッショイ」と耳の中に響いていました。

「ワッショイ」「ワッショイ」
「ワッショイ」「ワッショイ」

この「ワッショイ」が魂を揺り動かしているのだろうかと

いつになく興奮していました。

「ワッショイ」「ワッショイ」

人はこんな時に変われるののではないか?

みんなの応援が魂に響いて私達を導いてくれるような気がしました。

「ワッショイ」「ワッショイ」

次回は私も「じょうさん」を見習ってみんなを「ワッショイ」するぞ!